勉強は簡単で依存症になる

プログラムを『勉強』として作るとが楽しいのは、常に成功するからだ。
「わたしはこのプログラムを作ることで新たな知識を得た。成功だ!」
日々成長していくことを実感し、このままいくとすごいことになるに違いないと想像して勉強がやめられなくなる。どんどん上のレベルの勉強を始め、自分がどんどんすごくなっていくことを実感する。
そんなあるとき、こんな質問をされる。
「君が作ったソフトで一番すごいものはなに?」
勉強依存になっていると、ここで考え込んでしまう。
勉強として1000行にも満たないサンプルのようなものばかり作っているか、いくつかソフトを作ってはいるものの、自分の実力からすると『一番』なんて言えないと考えてしまうからだ。
なにか役に立つソフトを作るのは案外難しく、さらに自分の持つ100%以上の力で作ろうとすると、とんでもなく難しくなる。勉強依存になっていると自分の100%以上の力を使えないソフトは「それはもう知っているからやらなくてもいい」と考えるようになる。ソフトの存在価値や自分で作る理由よりも、勉強になるかならないかで作る作らないを決めるようになる。妙な自信だけがついていたりする。
『勉強』としてプログラムを作るのは楽しい。楽しさのあまり勉強自体が目的になってくる。しかし『勉強』というのは、なにか別の目的を達成するための準備でしかないはずだ。いつのまにか、そのことを忘れてしまっている。いや、考えないようにしてしまう。とりあえず勉強だけしていて、なにか面白いネタがあったときに作ろうと思うようになる。しかし、待っていても面白いネタはなかなかこない。


という反省を毎年2回くらいする。が、楽しくて、すぐ忘れる。趣味だから楽しければいいじゃん→いや無意味だ→楽しければいいじゃん→無意味だ→[繰り返し]。
自分が、仕事でソフトを作ることをあまり楽しくないと感じるのは、技術的には分かりきったことばかりで勉強にならないからだ。しかし、未知の技術や知識を必要とするソフトの開発は、仕事としては怖く請けれない。
この世は楽しく生きるのが難しいと思う。